2014年9月21日日曜日

第一回の渡航 総括

「初めてのフィリピンでのフィールドワークを終えて」

今回の渡航は自分の経験としても大変貴重なものになりました。自分自身でフィリピンに住んでいる方や貧困対策の活動をしている適切な団体などにつながり、すべての予定を組んで行動をコーディネートし、形だけでもフィールドワークが無事にできたのは一安心しました。渡航直前になっても行動予定が決まっていなかったことなどはなかなか不安でしたが、結果的に良い方に転んでくれました。

また、所属しているIDAcademyで決めた安全対策(予防接種や緊急時の対応チャート、安否を知らせる定期的な連絡、感染症発症予防のための帰国後の経過観察など)の試行も一通りできました。(経過観察は今後1か月継続中です)フィリピン自体訪れたのは初めてでしたし、割と全体的に初めてづくしでした。

今回のCompost Projectのフィリピン渡航の目的は、
・フィリピンで活動するために必要な人や団体につながるため
・トイレを開発するために必要な資材の検討
・フィリピンでの生活環境、特にトイレの環境や習慣について知るため
でした。今回は残念ながら「資材の検討」に関してはそれほど時間がさけなかったので不十分であると思っています。

個人的には来年1月から4か月、デラサール大学に留学することも踏まえて、どのように生活するかというイメージも膨らませながら渡航期間を過ごしていました。しっかりとした準備ができればフィリピンでも十分にやっていけると感じました。


中でも現地でスラムの住民にインタビューが無事にできたというのは予定外でした。当初の予定では住民にインタビューするのはとても難しいという思い込みでほとんど準備をしていなかったのですが、現地に足を踏み入れると意外とすんなりできました。もちろん安全面は確保して実施したのですが、インタビューを通じて直接聞かなくては分からない部分があるということも改めて認識するとともに、現地語で通訳してもらわなければわからないような場面でも、たまたま現地語から英語に通訳してくれる方が同行していたということもあって、割と不自由なくインタビューができたのはとてもよかったです。

その点で残念だったことはインタビュー項目に関してあまり熟慮できていなかった点です。インタビュー項目をあらかじめ決めて、それに関する事前知識などが十分にあれば得られた気づきがまた違ってきたように感じます。加えて、インタビューの方法に関してももう少し改善の余地があると思いました。終始、状況を把握することに執着しすぎて形式的になってしまい、それ以外の質問に関してはほとんどしていなかったように感じます。本当はささいな会話の中から価値観や気づきが得られるのでしょうけど、インタビューとなるとどうしても相手は質問を待っていますし、こちらもあるテーマに則ったような質問しかできなくなってしまいます。相手のさまざまな状況を短時間で知るためのインタビューは訓練が必要な気がしました。

今回得られた情報をもとに10月からまた再構築していく必要が感じられました。課題は一番トイレが必要とされているスラムで「トイレで稼ぐ」システムを広めるにはまずトイレをつくるスペースが確保できないということです。可動式のトイレでもいいのだろうと思っていましたが、それが現地の「トイレ」という価値観や常識にはまっていくかという問題もあります。また、スラムで広めるには、トイレで回収した屎尿を利用する場所までの移動をどのように構築するかという問題もあります。広い土地がある農村で回していくには可能性があるかもしれません。


4月からCompost Projectは始まりましたが、やはり何も見ずに想定していることと、現実とのギャップを埋めるには直接現場に訪れないとわからないことが山ほどあります。今回は現状が分かったので、それを踏まえてCompost Projectの計画を考え直すことが必要です。次にフィリピンで活動するまで国内でできることを精一杯やっていこうと思います。



幸寺


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「フィリピン渡航まとめ」

今回のフィリピン渡航では自分に足りないことがいろいろ浮き出てきました。英語力の不足、活動に関する知識の不足、行動力不足などなど様々なことが挙げられますが、最も自分に足りていないなと痛感したことは、海外の人や海外で事業を行っている日本の人と対等に話す姿勢がないということです。日本にいるときは講義をしてくださった教授に質問をしたり、講義の後に話を聞きに行ったりできていたのに、フィリピンにいるというだけでできなくなっていました。今回が三度目の海外ということでまだ海外慣れしていない部分もあるとは思いますが、積極性が全然ありませんでした。

僕の中での今回の渡航の位置づけは途上国の現実を知ることと自分の現状を知ることでしたので、自分に足りないことが分かっただけでも、分からないでこのまま年を取るよりよっぽどマシだと思っています。ですので、次回の渡航で同じ状況になってしまわないように、今回分かった自分に足りないところをしっかりと補えるように今後の行動を考えていきたいと思います。

プロジェクトの方はと言いますと、思ったより多くのインタビューができたと思います。その中で分かったことは今まで考えていたコンポストトイレが現地のトイレの常識と少し違っているということです。実際に使っているトイレも思ったよりきれいでした。今まで考えていたコンポストトイレを構造面でもシステムの面でも再検討してみる必要があると思います。

今回の渡航の目的は広い意味で「現状把握」なので、その意味では良いものが得られたと思います。重要なのは今回得た多くの情報を今後どのように生かすかということなので、気を引き締めて今後も活動していきたいと思います。



古橋

2014年9月19日金曜日

スラム以外のフィリピン人の平均収入について

これまではスラムに住む人たちにフォーカスしていましたが、フィリピンの一般的な職についている人の収入については何も知りませんでした。

台風の影響で何もできない時に数人インタビューして、収入がどんなものか聞いてみました。
インタビューしたのは、以下の人たち。

・Jollibeeの店員
・白タクシーの運転手
・ホテルからタクシーを手配する会社の社員
・ホテルの従業員

旅行をすると必ず接するような身近にいた人ばかりです。


ここで、Jollibeeってなんだ?って思った方のために簡単に説明します。


Jollibeeとはフィリピン華僑のトニー・タンが率いるジョリビー・フード・コーポレーションの運営するファストフードチェーン店で、おもにハンバーガーなどを売っています。普通のハンバーガー屋とは違うのはフィリピンの主食であるごはんメニューやパスタが充実していることであり、もはやハンバーガー屋ではない雰囲気も漂っていました。

実際、暇すぎてジョリビーに2時間ぐらいいたときに店員の働き具合や客の行動などをこっそり観察していましたが、フィリピン人の9割はご飯とフライドチキンが入ったご飯セットしか食べていませんでした。


左の写真のようにメニューボードも真正面がごはんセット、さらにそのメニューの面積がハンバーガーのメニューよりも面積が広いというのがとても興味深かったです。

フィリピンには皆さん御存じ「マクドナルド」はもちろんありましたが、マクドナルドがフィリピンのファストフード業界でシェア第一位になれないのはこのJollibeeにあると言います。(Wikipediaより)

気のせいか、Jollibeeに対抗しようとしてなのかわかりませんが、マクドナルドに行ったときに驚いたのは、ハンバーガー以外にご飯セットのメニューもあり、Mc Riceなるものや、Mc Spaghettiなるものもあったことです。Jollibeeに対抗しているというのはあくまで推測の域を超えませんが… ちなみにこのMc Spaghettiは50ペソ(約120円)でした。味はふつうでした。



(マクドナルドは各国で展開する際に違うテイストを入れているので、どのようにその国に馴染んだメニューを展開しているかをみるのは結構勉強になったりします。)

Jollibeeの話はこれぐらいにして、収入の話に戻りましょう。


〇Jollibeeの店員

店員のREYMさんに話を聞きました。(勤務中だったのであまり話はできませんでしたが)
まず、Jollibeeの時給は42ペソ(カップ麺1個の値段ぐらいです)でした。REYMさんはWorking Student(いわゆるバイトしてる大学生)でありましたが、現在は1科目しかとってないとかで、週6日、1日8時間働いてると言ってました。フィリピンでは月に2回給料が支払われますが、1回の給料はだいたい4000~5000ペソだと言っていました。人によって休める曜日を変えられるそうですが、REYMさんは月曜日が休みであると言ってました。

確か、法律では週に5日、2日は休暇を取らなくてはいけないというのがあったような気もしますが、週6日の勤労は特例で認められているのでしょうか?


〇タクシー運転手

エステというタクシー会社に勤めている方で名前は聞きそびれました。セブでのタクシー会社は数社あるそうですが、白いタクシーが目立ちます。(こちらのタクシーは初乗り40ペソで、割と遠いところに行っても200ペソ~300ペソぐらいで済んでしまいます。ただしマニラは違います。意味わからないぐらい高い値段を要求されます)

この方は1年半前からタクシー運転手をし始めたそうで、以前は商店で店員をしていたそうです。タクシー運転手は1日に300ペソ、月に最大7500ペソの収入があります。


タクシー会社に勤務していると言っても、タクシーのレンタル料金を一日に1000ペソ支払う仕組みらしいです。どういうことかというと、タクシーの運転手が1日に2000ペソの売り上げがあるとすると、そのうち1000ペソは車のレンタル代で会社に支払わなくてはなりません。会社自体は1日に70000ペソ(約17万円)を儲けているらしいです。(つまりエステは70台のタクシーを保有していることになりますね)


1日に1000ペソの売り上げであるととてもいいのですが、ガソリン代などは自分で支払わなくてはならないのでそこが結構します。1リットルが42ペソぐらいしていたので、満タン(40L~50L)入れると、それだけで1600~2000ペソぐらいかかってしまいます。(ガソスタに入っても満タンにはせずに、頻繁にチビチビ入れている感じはしましたけど…)




この方は2人の娘と3人の息子を持っていて、32歳の方でした。32歳で5人の子供って日本では考えられないですね。

〇ホテルでタクシーの手配をする会社の社員

Phil Joyceさんにインタビューしました。ホテルとは別の会社のタクシー業者がホテルのロビーにデスクを構えているところで、暇そうにしていたPhilさんに声を掛けました。Philさんは今年の3月に大学を卒業し、このタクシー会社に入ったそうです。専攻はBusiness Administrationだったそうです。Philさんはまだ20歳で、家族、親戚とともに6人暮らしています。

会社での収入は月13000~14000ペソで家族には月7000ペソお金を渡しているそうです。食費は月1000ペソ、水代月600ペソ、電気代月2500ペソの支出があるそうです。6人家族で住んでおり、これらの支出は母親が出しているそうで、Philさんは月に6000ペソ~7000ペソのお金を自由に使うことができます。

ちなみにPhilさんの母親もまだGovarnmental Officerとして働いているそうで、月に10000ペソ稼いでいるそうです。(どんな職業かはわかりませんでした…)


〇ホテルの従業員
これはPhilさんから間接的に伺ったことで確かかどうかわかりませんが、ホテルの従業員で受付の人の月給は13000~15000ペソ、清掃員は月10000ペソぐらいだと言っていました。(ホテルの受付に直接給料を聞く時間がないほど忙しそうにしていました…)


やはり、自分たちの感覚でもホテルの従業員(受付)はほかの職業に比べるといい給料でした。それでも月に15000ペソ、日本円で約36000円です。物価が安いので月15000ペソあれば十分だそうですが、私の場合、今回の2週間の渡航で無駄遣いしていなくても13000ペソぐらい使っています。(移動費や食費に関しては生活していればもっと切りつめられるのでしょうけど)日本の感覚が抜けていないせいもありますが、同じ学生でアルバイトをしているJollibeeのREYMさんはほぼ毎日しっかり働いても月に10000ペソです。大変な世界だなあと感じざるを得ませんでした。


こうした状況を見ているとちょっと頑張ってバイトすれば国内旅行も海外旅行も飲み会にだって頻繁に行って「ウェーイ!」できる日本の若者は恵まれていると言えます。その分、お金の価値は軽いのでしょう。「お金」という「手段」を何に変えているのか、それが物事を見るのに重要な気がしてきます。

フィリピンでは一日100ペソを稼ぐのがやっとの人もいます。こうした事実や金銭感覚を踏まえて、Compost Projectを通じてどんな利益を生むことができるのか、考えていきたいと思います。












セブの海沿いのスラム

9月17日の活動の続きです。

イナヤワンのゴミ山に行った後は、マザーテレサ孤児院に行き、2~5歳までの子供たちのボランティアをしに行きました。小さい子供をあやすのはとても大変で、全員で13,4人いる子供の子育てというのは本当に大変であると感じました。子育てをまだしたことがない自分たちでしたが、たった1日でその大変さを重々理解しました。


その後、その孤児院があった地区で2件インタビューしに行きました。ここもスラムで、不法に居住している人たちが生活していたのですが、テレビゲームからお店から、パソコンに至るまで、思っていたよりもものに充実している様子がうかがえました。



一人目はElly Moneraさんです。(写真はMonera一家、Ellyさんはお母さんです)


Ellyさん1人の子供を持つ3人家族です。夫は漁師をしていますが、収入が安定しないため、Ellyさんは家でカフェのようなものを営んでいます。この一家の収入は一日に200~250ペソ、月で60007000ペソです。一日の収入のほとんどは食費でなくなってしまいますが、その他にも電気代を月に200ペソ、水代を月に300ペソ払わないとならないので、地主に借金をしてそれを利子つきで返すといった具合で日々やりくりしているようです。利子のつき方は、例えば500ペソを借りたら2か月で徐々に返し、合計600ペソで返す、といった具合です。

一番左がEllyさん、真ん中は息子、右は同行してくれたRohnaさん

右に少し見える階段で2階に行けます

トイレに関しては、自宅にないため、トイレを持っている近所の家に行って一回3ペソで使わせてもらっているそうです。一日に一人だいたい二回くらいトイレを使うとして、Monera一家はトイレだけで月に540ペソを支払っていることになります。この額は電気代の二倍以上もかかっているため、すごい負担になっているのではないかと思われます。そのトイレを実際に見させてもらいましたが、匂いもなく、年季は入っていますがきれいに使われていました。隣に同じトイレもありました。



Ellyさんはこの土地にもう13年も住んでいるそうです。フィリピンでは通常、他人の土地でもそこに二年間以上住んでいるとその人の土地になるのですが、Ellyさんの住む土地は政府のものなので、二年間以上住んでも私有地にはならないばかりか、政府がこの土地の開発を始めたらこの土地に住んでいる人は他の土地に移動しなければなりません。他の住む場所をまだ見つけられていないため、もし今この土地を追われてしまうと住む場所を失うことになってしまいます。(ただ、もう13年も住んでいて何もないので、大丈夫だとは言っていました)

続いて、雨季特有の問題について尋ねたところ、二階にいれば安全だという答えが返ってきました。この周辺の家は皆二階建てだそうで、洪水などがあった時は二階に避難するそうです。そのため寝室も二階にあります。写真の通り海がとても近いので、洪水になることも多いのでしょう。


家の中のキッチンが目に留まったのですが、ここではガスは使っておらず、炭や薪を燃やして調理しているようでした。ですが、これは家の中なので煙が充満することが考えられます。



この地域では外で調理している様子も見られました。一斗缶の下の一部をくりぬいてあり、そこに燃やすものを入れる形でした。(ロケットストーブなどを提供すれば喜ばれるかもしれない…)


一人息子は大学をすでに卒業し、警察官になる準備をしているそうです。警察官になるにはライセンスが必要でその試験の勉強をしているのですが、それをクリアすると将来、自分のお金で家が建てられるほどになるそうです。こうして努力してこのスラムから脱却していくのかと感じました。




二人目はMeralona Cejasさんです。


Meralonaさんは13歳と15歳の二人の娘を持つ4人家族で、娘二人はそれぞれ中学校と高校に通っています。夫は大工をやっていますがいつも職につけるとは限りません。またほとんどの場合が日雇いなので収入は不安定です。Meralonaさんは今年の7月にサリサリストアを始めました。サリサリストアーとはカウンター越しに商品を受け渡しする小さなお店のことで、スナック菓子やバナナなどを売っていました。


Meralonaさんの収入は一日150300ペソで、主な支出は家のローンです。開店資金として5000ペソを借りて購入したものなので、利子つきで計6000ペソを返さなければなりません。一日100ペソずつを二か月間払い続けて返済するそうなので、それだけでも収入の半分くらいはなくなってしまいます。(1日200ペソ売り上げがあると100ペソは支払い、もう100ペソが収入になります)

その他の支出は電気代が月に300500ペソ、飲料水代が約二日分で20ペソ、洗濯等に使う水(雨がバケツ1杯分(10Lぐらい)で2ペソだそうです。(洗濯に使う水すら買います)

ちなみにこの地域には公共の水道管を引いている家庭もありました。そうした家庭は水をMeralonaさんのような、自分の家に水道管がない家庭に水を売ったりするのですが、水道管を引く工事だけでも10000ペソするそうです。

これだけの支出がありますと、食費にかけられるお金が多くても四人で一日200ペソ弱になってしまい、小さいカップ麺一つで約34ペソのフィリピンではとても厳しいことが分かります。


Meralonaさんの家には二階がないそうです。その理由を尋ねると、2004年に火事に遭ったためなくなってしまったとおっしゃっていました。新しく家を建て直す時になって、夫が胃の手術受けたため二階を建て直すお金もなく、そのまま二階なしで生活しているそうです。1階だけの空間はとても狭く、ここに4人生活しているのかと思うと大変な生活であることが容易に想像できました。

雨季特有の問題について尋ねると、2013年にフィリピンを襲った大型台風ハイエンの話をしてくださいました。ハイエンが来たとき、水が腰の高さまできていたそうです



この店の机の縁あたりまで来ていたと言っていました。その際は同じ地域の住民が全員近くのバランガイホールに避難したそうです。排水溝もあるのですが海に直接つながっているため全く機能していなかったみたいです。



今回の渡航でこれだけスラムにインタビューできたのは予想外でしたが、さまざまな状況が把握できとてもよかったと思っています。ただ、「スラムは危険だ」といろんな人に忠告されていた、その意味がはっきりと理解できる光景がありました。


さっきお見せした堤防沿いのスラムを皆でぶらぶら歩いていたら、急にこんな立派な豪邸が現れたのです。

初めは、ここが政府の土地であるので政府関係者の邸宅であると思っていたのですが、Rohnaがこっそり教えてくれました。「これはドラッグを売りさばいている人の豪邸だよ」と。

実際にドラッグが売られている光景は今回見なかったのですが(いや、見ていたらやばい状況)、ドラッグらしき白いものを細い袋に詰めているおばあさんをちらっと見かけたことはあります。その親玉はこんな感じの豪邸を建てます。(おそらく政府の人ともつながりがあるのでしょう。でなければここにこんな家は建てないはずです…)

どこの国にもスラムはマフィアが住み着いていて、ドラッグの売買で生計を立てている人たちもいるという話を聞いたことがあったのですが、こんな形で目の当たりにしてしまうとは思ってもみませんでした。しかし、違う側面でものごとを考えると、こうしたお金を持っている人が近くにいることによって成り立っている生活(お金を借りるなど)もあるのだと思い知らされます。余計に状況が複雑になります。物事を両方の側面で見ると一概に「あれは悪い人たちだ」と言えないのが分かってきます。

スラムは面白くも答えがない難しい世界です。




2回目のイナヤワンのゴミ山訪問

917日はイナヤワンに再び行く機会がありました。前回の13日はイナヤワンのコンポスト施設を訪れたのですが、今回はイナヤワンのゴミ山がひどいところに訪れ、そこで働く人たちにインタビューすることができました。

同行したのは13日にお世話になったDAREDEMO HEROEriさん、KEIKOさん、そしてフィリピン人のRohnaさん、参加者のMickeyさんと計6人で向かいました。

イナワヤンというのはごみの最終処分場であり、簡単にいうと「ゴミ山」です。ゴミ山が見えてくるまでは普通の住宅やお店が並ぶ地域なのですが、徐々にゴミのリサイクル工場や業者の倉庫が見え出し、同時にゴミが道路の両脇にあふれ、すれ違うのものはゴミを運ぶトラックやごみを漁っている人、コンテナなどになってきます。


前回も書いたように、この場所に近づくと強烈なにおいがあたりを漂い、ハエが大量に飛び交っています。この日は少し雨が降っていたせいか、前回訪れたときよりも匂いはきつくなかったように感じましたが、やはり、ゴミ山に近づくと匂います。(晴れているときがいかに匂っているのか、想像がつきません)ちなみにゴミ山はこんな感じ。


これがゴミ山の端のようです。右側にはもっとゴミが広がっているようでしたが、さすがにそこまで登っていく勇気はありませんでした。 また、Eriさんの話によると、4か月前まではこの写真の下に広がっているコンクリートの道路は向こう側までちゃんとつながっていたそうです。ゴミ山の一角が崩壊したことによって道路が塞がれてしまったようです。


塞がれた道路とゴミ山の境目まで行きましたが、こうしたゴミが一面に広がって積み重なっているのかと思うとぞっとしました。そこには溜まった水にハエかなにかの幼虫がうごめいています。プラスチックのごみが目立ちました。滞在中によく行ったJollibeeのゴミも見られ、どうしようもない気分になりました。


この建物も当初はこんなに埋まることを想定していなかったのでしょう。使われるはずの建物が内部はゴミだらけになっていました。この建物の横にはDPS (Department of public service)の管理している家屋とオフィスがあります。この家屋はゴミ運搬用のトラックが待機するような場所みたいでしたが、詳しい説明はうけませんでした。



国の法律で焼却炉が使えませんので、建設もされません。ダイオキシンを発生させないようにするためなのでしょう。しかし、技術も進歩しており、そうした懸念がなくとも焼却できます。フィリピンでは法改正と焼却施設が早急に必要です。


「ゴミ山になぜ人が住んでいるんだろう?」「なんでゴミを漁っているんだろう?」

事前学習した際にも「ゴミを漁って生活している人がいる」とイメージするぐらいで、その明確な理由が分からず、初めてここに訪れた時にも少し冷めた目で見ていました。


この問いに答えを持つにはやはり直接インタビューしないと見えてこないものがあります。
インタビューするだけでも、話さずにスルーしていた時よりも感じるものが違ってきたり、具体的なイメージ・対象としても目に浮かぶようになります。

(これが現場主義というものでしょうか?現地に行ってみないとわからないこと、感じられないこと、得られないことが多いなとつくづく感じています。調査ではもちろんですが、旅をするときにでも、その期間を充実させるには現地の人たちとコミュニケーションを取るということが非常に大切であると感じます。観光だけではわからない、細かい部分の文化や習慣、生活の様子が分かってきますし、同時に旅をしている時に一度話した人たちは経験上、イメージとして残りやすくなります。コミュニケーションを取るということ自体が言語の違いで難しい面も確かにありますが、最低でも英語は操れるようにならないといけないなと自省します。)

少し脱線してしまいましたが、続きを…



彼らにとって、自分たちが思う「ゴミ」とは「生活のために必要なもの」です。単なる「ゴミ」でも、そのあたりのジャンクショップに持っていけば売れる。だから最終処分場といえどもそうした「宝」が埋まっている場所で宝探しをし、生活に必要なお金を稼いでいます。中には子供も宝探しをしていました。(実際に宝石が見つかったケースもあったそうで、あとでその宝石の持ち主が名乗りだし、謝礼として1000万円を渡したということもあるそうです。)

宝探しをしている人の格好としては、長靴、そしてにおいを防ぐための口にあてる布をしており、道具は鉤つきのスティック(漁師がつかいそうなやつ)を持っています。探したものを回収する丈夫な袋も持っています。鉤付きのスティックというのは下の写真のかわいい女の子が右手に持っているものがそうです。



ここで働いている、Johnard Villaricoさんにインタビューをしました。(本人の写真はありません)

この地域にはジャンクショップが7件~10件あります。そのどれもが専門的に何かを取り扱っているわけではなく、どの種類のゴミも買い取るそうです。

買い取られるゴミの種類と価格はジャンクショップによって異なるのですが、

プラスチック(といってもきれいなもの)は1キロ34ペソ(1ペソ=約2.4円)
ペットボトルは1キロ10ペソ
紙(段ボールなどの古紙)は1キロ35ペソ
カンは1キロ1020ペソ

銅は1キロ200ペソ

下の写真は買い取られるプラスチックの写真です。これぐらいきれいに、さらに加工されやすいものでないと買い取られません。


下の写真はJohnardさんがその日に取ったものです。宝探しをしている人の収入は1日で10~200ペソ、月に3000~4000ペソだそうです。


 この地域でも、他の地域同様に子供が多く見られます。少しの時間だけ戯れていた子供たちが急に走りだし、どこに行ったのかと思ったら、その友達の方に駈け出していきました。その友達が「いえーい!Jollibee見つけたー!!」と言っていたそうです。Jollibeeとはフィリピンのファストフード店でご飯ものもあれば、ハンバーガーも売っているのですが、この友達、生ごみの中からハンバーガーを見つけたそうです。でも一瞬見た感じ、完全に腐っていました。それを嬉しそうにパクパク食べていたところを写真に撮ろうとしたら「撮らないでぇ~」と逃げて行った様子が下の写真です。




 お腹大丈夫なのかな?…こういうことが日常茶飯事なので、宝探しをするときも、生ごみから食料を得るときも、かなり身の危険を伴っています。とても過酷な環境です。

生ごみを積極的に回収し、家畜のえさとしてあげている人たちもいるそうです。事実、この地域には他の場所で見られなかったような豚や牛が飼育されていました。


お腹を壊すくらいならまだましなのですが、死の危険を伴ってもいます。下の光景は、新しく外部からごみが運ばれてくる様子なのですが、Rohnaさんによるとこのダンプがゴミを投下する際に下敷きになって死んでしまう人たちも多いそうです。「新しいゴミ」=「まだ誰も手を付けていない、宝が埋まっていて、見つけられる可能性の高いもの」という認識であるそうで、ダンプが来ると一目散に近寄っていきます。



上の写真がその新しく来た「宝の山」に群がっている人たちです。その日何も収穫できていない人たちがとても集中して宝を探していました。


このイナヤワンの最終処分場は危険性も高まってきており、完全に許容量を超えているので、来年の1月には閉鎖するそうです。閉鎖しても消えないゴミの問題。焼却炉ができないとこうした場所がまた違う場所にできていきます。そしてそれを生活の生業にしている人たちも、ここを離れ新しいゴミ山で生活するようになります。焼却炉ができたときはその時でまたこうして生活している人たちが苦しむのですが、どのようにすればこうした人たちの生活と環境問題の防止を実現できるのか。これはとても難しい課題に感じます。



劣悪な環境でも力強く生きる人たちと消えないゴミ問題が依然として残ったままです。ゴミの上に力強く生える雑草、それでも吸収・分解されないプラスチックのゴミ。上の写真のゴミ山に生えた植物がそうした構図を端的に物語っているように感じました。

こうした構図がより良い方向に向かうようにCompost Projectは動きます。




2014年9月17日水曜日

イナワヤンのゴミ山・コンポスト事業

本日はフィリピンのセブ島でコンポストの事業(BIO NUTRIENT WASTE MANAGEMENT Inc.)を行っているクリスさんとエマさんにインタビューを行いました。クリスさんとエマさんにつなげていただいた櫻井絹恵さんも同行してくれました。



クリスさんらの事務所から車で移動し、市内を抜けて実際にコンポスト化が行われている場所へ向かいました。コンポスト化されている施設に近づくにつれて、舗装されていた道がだんだんとぬかるんだ道になっていきました。このような道になってくると周りの景色も変わっていき、発展目覚ましい建物群がいつの間にか、トタン屋根の並ぶ、見るからに貧しそうな家々になっていきます。さらに施設に近づいていくと、プラスティックゴミや段ボールなどの紙ごみを回収、処理している建物が並ぶようになりました。



家はと言いますと、もう人が住んでいるにかいないのかよく分からないボロボロの家に豚や牛などの家畜と一緒に人が住んでいました。ここまで来ると車の中にいても臭いが分かるくらい生ごみの臭いがしだし、道もぬかるみ、ハエも増えてきました。(クリスさんの四輪駆動の車でなければ進めないぐらい大変な道のりでした)






現場につくと、普段使う三次元マスクのようなものではない明らかに作業用であるマスクを受け取り、口と鼻をしっかりと覆って車を降りました。車を降りると、そこには山のような生ごみ、これまで見たこともないぐらい大量のハエや蚊、そしてそこで働く人たちが目に映ってきました。マスクをしていても、まるでゴミに鼻をくっつけて嗅いでいるような強烈な生ごみの臭いがしました。

まず初めに施設の敷地内にあるコンポストトイレについてエマさんに教えていただきました。ここのトイレはとてもきれいにされていました。男性用と女性用トイレで分かれていましたが、どちらも「し尿分離型」トイレ、つまり、尿と便を分けて回収するトイレであり、尿は薄めて液肥に、便は堆肥に利用します。便は用を足すとそのまま下にたまっていくようになっていました。便を堆肥化する際には水分量の調整が必須なのですが、コンポストに水分が入らないように、用をたすところとおしりを洗うところとで便器を分ける工夫がなされていました。(ちょっと面倒な気もしますが)水洗トイレではないので、水をかけて流す代わりに、堆肥をスコップですくって便の上にまぶします。この便をためコンポスト化するタンクは一つで100L入り、いっぱいになったら別のタンクに取り替えます。尿のほうは1日で一杯になるので毎日取り換えているそうです。下の写真は白のタンクが尿、青のタンクが便をコンポスト化しているタンクです。


ここに働く人は皆ここのトイレを使っているのかと思ったのですが、そうではないようで、女性はこのトイレを使用していますが(といってもここで働いている女性はほとんどいませんでした)、男性はほとんどがその辺でしてしまうそうです。その理由はこのトイレがきれいすぎるからだとエマさんは言っていました。ここでトイレに対する男性と女性の考えの違いがわかります。女性は清潔さや恥ずかしさを優先してトイレを使用するのに対し、男性はその考えが女性よりも強くはないようです。また、どちらのトイレにもこのトイレの使い方が写真のように書かれていました。

次にコンポスト事業についてクリスさんに伺いました。まず、コンポスト事業の仕組みについて聞きました。仕組みは、初めに、マーケット(野菜などを売っている市場のほうの意味です)から市のDPSdepartment of public service)がゴミを回収します。そのゴミはほとんどが有機性廃棄物なのですが、これをクリスさんの事業がコンポストにします。コンポスト化できるマーケットから出たゴミは優先的にこの業者に運ばれるようになっています。この業者が1トンあたり700ペソで市から処理を請け負います。ゴミがトラックで施設内に運ばれるとコンポスト化できないプラスティック類と、コンポスト化できる野菜、果物などの生ごみに分けます。その際、大きい生ごみは破砕機にかけます。分別された生ごみは山積みにされてコンポスト化されていきます。1日に約40トンものゴミを処理し、コンポスト化しているそうです。

ゴミをマーケットから回収している理由は、他の地域や団体などで回収しているゴミには何が含まれているか分からないからだそうです。細菌の中にはコンポスト化に影響があるものもあり、その細菌がいったん紛れ込んでしまうとそのまま増殖し、取り出すことが困難になってしまいます。そのため、ゴミの組成がほとんど一定で危険ものが紛れている可能性が低いマーケットからのゴミのみ回収しています。車での移動中もそのことについて話し合いをされていて、「他の地域からのゴミを回収してしまうとすべてがだめになってしまうから、絶対にマーケット以外のゴミは回収するな」と言っていました。


次にコンポストの製造方法について伺いました。
生ごみの山はまず一番右の貯蔵場(BAY1)に作られます。コンポスト化しやすいように細かくなった生ごみを層になるように山積みにしていき、その上にコンポストの活性化剤(高倉式コンポストを参考にしています)をまぶし、またさらに次のゴミの層を作り、活性化剤をまぶし…という工程で山を作ります。この生ごみの山を置く載積場は全部で10棟(BAY1~10)あり、それらのスペースは隣接して配置されています。一週間かけて山ができたらその山はひとつ左のスペースに移され、空いたスペース(BAY1)にまた新しい山が作られていきます。これらの山は一週間経つと一つ左のスペースに順々に移動していき、十週間が経過するとようやくコンポスト化が完了します。できたコンポストは製品化する前にふるいにかけ、コンポスト化が不十分な大きいものを取り除きます。できたコンポストは体積も重さも最初の20%になります。このコンポストは一袋25kgの袋に詰められ、1キロ10ペソ(25)、つまり、一袋250ペソで販売されます。大きい農家など大量に購入する人にはその量に応じて1キロ5~10ペソで販売しています。



その次に雇用形態について伺いました。
ゴミの分別や細断、コンポスト化のための載積などで雇われている人たちはグループ(1グループ1015人)を組織しています。ここでは全部で3グループ、つまり4045人を雇っているのですが、グループ内のメンバーはグループで選別しています。その理由は、ここでの給与形態にあります。以前は1300ペソで1人ずつ雇っていたそうですが、そのシステムを止め、グループごとで1台のトラックに運ばれてくるゴミを請け負います。業者は1トンで700ペソを受け取るのですが、作業するグループは1トン350ペソで請け負います。つまり、グループでゴミ取集トラックのゴミを引き受け、そのゴミが10トンあった場合、そのゴミの作業が終われば、全員で3500ペソを山分けするという形です。上の表はグループごとにどれだけのゴミを扱ったかを記しています。(トータルの量と合計値が合いませんが…)訪れた日は月曜日で、月曜日の欄を見るとどのくらいゴミを処理しているか分かります。火曜日以降の欄は先週の数字だそうです。



この業者以外で働いている人たち(主にゴミを漁っている人)は一日80ペソ~200ペソの収入しか得られませんが、ここではゴミを処理する量に応じてグループごとで得られる給料が変動します。一番収入の多い人では一週間で約4,200ペソ(10,500)を稼いだそうです。一般的にフィリピンのセブ島では月収10,000ペソ(25,000)なので、この場所の給料はとても良い方です。しかし、グループの働きによって給料は変わるため、労働者は励んで働きます。そのため雇用されている人がグループを作るときはよく働くメンバーしか入れません。排他的ですが、効率がよくなり、雇用者と被雇用者ともによい結果になります。Win-Winの関係になっています。また、ここに働く人は2013年にフィリピンを襲った大型台風ハイエンの被災者だそうで、家や住む場所を失った人々だそうです。

請負の1トン700ペソのうち、350ペソは人件費に使われると書きましたが、残りの350ペソは機械のメンテナンス費や運営費で使われるそうです。自分たちの給料はコンポストの売り上げで決めるとおっしゃっていました。

この事業は二年前の2012年に初期投資500万ペソ(1250万円)で始まり、今年の5月から市からのゴミの請負が始まり、721日に一番初めのコンポストを製造したそうです。現在のところは順調に製造できているそうです。コンポストの売り手は家畜の飼料を生産するために大型農場を経営しているDoleやフィリピンのビール会社のSan Miguelを見込んでいるそうです。(訪問した当日に50袋の契約がありました。本当に始まったばかりだなーと思う光景でした。)この施設の周辺でコンポスト事業をしているところは他にはないとおっしゃっていました。

今後、この事業がどのように発展していくのか、とても気になります。労働者にも環境にも意義のある事業であると思うので、これをもとにもっと広まってほしいと思いました。